第191回 伊能忠敬

伊能忠敬は日本各地を測量し、初めての正確な日本地図を作成した人物として、教科書でも有名です。彼は1800年から足かけ17年間、蝦夷地から九州まで10回にわたり測量し、外国の専門家も驚くほど緻密で正確な地図を作成しました。彼に関する逸話はいろいろとありますが、私が最近「面白い!」と思ったのは、熊本県の郷土史研究家である平田稔氏の文章から知ったことです。

氏は、伊能忠敬の測量チームが、どのようにして各地を測量していったかについて研究し、その一部を日経新聞7月10日朝刊にて発表しています。私は伊能忠敬の測量の仕方は次のようだろうと思っていました。
①数人のチームが歩測などしながらコツコツと各地を歩く。
②そのデータをまとめて地図にしていく。

さて、それについてじっくり考えてみると、このような方法では17年かけても日本地図を作ることは物理的に不可能だと言えるでしょう。日本の沿岸の海岸線を歩くだけで相当な距離があり、それを数名の人間が踏破しつつ地図にしていくわけですから、それは気が遠くなる作業です。

私は平田氏の文章を読んで、ようやく伊能忠敬の地図作りのシステムを理解することができ、「なるほど、それはすごい仕組みだ。それなら何とか17年あればやりきることができるだろう」と感心するとともに、納得しました。それは次のような仕組みです。

まず知らねばならないのは、伊能忠敬の測量は、途中から幕府の事業となったため、全面的に幕府の協力のもとに進められたということです。伊能忠敬の測量の計画が固まると、幕府は関係する藩の江戸屋敷に通達を出します。すると、藩邸は直ちに国元に飛脚便を出し、地元にいろいろな準備をさせます。地元では、伊能忠敬が現地入りする前に予備調査を行い、予め大まかな地図を作成しておきます。伊能忠敬の測量隊が現地入りすると、その地図が正しいかどうかを最新の計測器でチェックし、修正します。このようにして、次々と正確な地図を作っていったというわけです。

伊能忠敬の地図製作には、国と地域が一体になった、緻密なバックアップ体制があったのですね。