第161回 知られざる硫黄島の事実

(株)独立総合研究所前社長 青山繁晴氏の講演のダイジェストを読み、大きな衝撃を受けました。まず驚いたのは、硫黄島は日本の領土でありながら、今なおアメリカの管轄下のような状態で、立ち入り禁止となっているということです。

硫黄島は、映画『硫黄島からの手紙』からもわかるように、戦争末期の激戦地です。戦争末期で軍人の数も減っていたため、その戦いには40歳以上の一般人もかり集められ、参加したそうです。40代といえば、家族も子どももいる人々ばかりでしょう。さぞかし参戦することは辛かったことでしょう。

硫黄島には、2万1千名の日本兵が渡りましたが、生き残ったのはたった1033名。約2万人の兵士がそこで亡くなりました。さらに、その2万人のうち、遺骨として故郷に帰ってこられたのは、8千人あまりです。つまり、まだ1万2千名の方が硫黄島に取り残されているのです。その当時の学校の先生、サラリーマン、大工さん、お菓子屋さんなどの一般の方々が、今なお硫黄島に眠っているのです。

氏は、防衛省に交渉して特別な許可を得て、硫黄島に赴いたそうです。飛行機が硫黄島に近付くにつれ、涙が止まらなくなり、飛行機が滑走路に降り立ったとたん、脚が動かなくなってしまったそうです。それもそのはずです。その滑走路は、普通の滑走路とは違うのです。硫黄島の戦闘がまだ続いているときに、アメリカ軍が日本兵の死体を片づけないまま、アスファルトを流し込んでつくったものなのです。つまり、その滑走路の下には何千、何百人という日本兵の死体が埋まっているのです。その時、氏は何とか飛行機から降り、滑走路を撫でながら大声で泣いたそうです。

今現在、硫黄島には海上自衛官の方などが赴任しているそうです。彼らの話では、島のあちこちで、ごく普通に兵士たちの幽霊を目にするそうです。これを知って、今すぐにでも、彼らの霊を慰めるような行事などが行えないものだろうかと、強く思いました。