第511回 日露戦争秘話

戦争は断じて避けるべきものですが,その戦争の歴史の中でも,心にグサリとくる秘話があります。

日露戦争は,明治時代に当時の大日本帝国とロシア帝国の間で勃発しました。激しい戦いの最中,ロシア兵の捕虜を収容する施設が全国に設けられましたが,四国の愛媛県松山市の捕虜収容所は少し様子が違っていました。それは松山市では「捕虜となったロシア兵は罪人ではない。共に祖国のために戦ったことに敬意を表し,また戦いに敗れた心情を思いやり,侮辱するようなことは決してしてはならない」とのお達しが出ていたのです。そのため市民はロシア兵と親しく接し,様々な交流が生まれていたようです。これは,日本人の優しさと武士道精神を感じさせるお話ですね。

さて,話はここで終わりではありません。日本人のこのようなロシア兵に対する振る舞いは,思わぬところにも影響を及ぼしたのです。何とこの噂がロシアの最前線の兵士にも伝わり,自ら「マツヤマ!」と叫んで投降する兵士も出てきました。

その後,ロシアの軍港を出たバルチック艦隊は,アフリカの喜望峰を回る7カ月もの航海を経て日本を目指しました。当然途中で燃料補給のため各国の港で寄港を繰り返さねばなりません。ところが各国の港では「日本は戦う相手国の兵士にまで敬意を示すような尊敬できる国だ。その日本を滅ぼそうとするような国の兵士は上陸させられないので,燃料を補給したらさっさと立ち去ってくれ」というような対応をしたようです。
その結果,ロシア兵たちは疲労困憊し,健康状態も最悪のまま日本海戦に臨まざるを得なかったようです。日露戦争における日本の勝利にはこんな実状も影響しているようです。

「情けは人の為ならず」という諺がありますが,「与えたものは巡り巡っていずれ返ってくる」というのは,本当のことのようです。