第365回 バングラデシュ人の物語

皆さんはバングラデシュという国をご存知のことと思います。首都はダッカ,バングラデシュはとても貧しい国です。バングラデシュの人々は,第二次世界大戦の敗戦でどん底に落ちたはずなのに,わずかな期間で世界を代表する国に発展した,日本と日本人に憧れを抱いています。さて,これからは,1972年,バングラデシュ独立戦争中に生まれた,マホムッド ジャケルさんのお話です。

氏が生まれたとき,父は戦場に駆り出され,母は一人で5人の子どもを守っていました。母が氏に乳をあげようと思っても,何も食べていない母からはまったく乳が出ません。そこで周りの人たちにお願いして何とかお米を恵んでもらい,そのお米を粉にして,お湯に溶いて飲ませるような状態でした。当時バングラデシュには子どもの人身売買が横行しており,氏もあわやお米3㎏と交換に売り出される寸前でした。つまり,氏の命はお米3㎏と同じということになります。バングラデシュはかつて東パキスタンと呼ばれ,イスラム教の国です。イスラムとはアラビア語で「神の教えを拠りどころにする」という意味で,人々は唯一の神「アッラー」を信仰しています。そして,アッラーの言葉が書かれた経典が「コーラン」です。

バングラデシュの人たちは氏が生まれた当時,ほとんどが1月1日生まれでした。氏自身も1月1日生まれで,本当の誕生日を知りません。国に戸籍を管理する仕組みがなかったのです。人間の子どもの誕生は,家で飼っているウシやヤギ,ニワトリの誕生と同じでした。バングラデシュでは,5才ぐらいになると「宗教学校モクトヴ」に通います。朝6時から8時まで,3年間でアラビア語やお祈りの作法やコーランを学びます。お祈りは1日5回,先生たちは「世界の中でイスラム教が唯一正しく,他の宗教はすべておかしい」と思っているような節があり,それが他の宗教の人たちとのいがみ合いの種となっているようです。バングラデシュのほとんどの女性は,13才から14才で結婚させられます。もちろん男女とも恋愛は禁止で,それを破ると男性も女性も厳しく罰せられます。

氏は,既に日本で働いていた兄さんを頼って,日本の大学に留学する決意をしました。そのためのビザを発行してもらうのも大変な苦労です。また,日本への入国に際しては,日本人の保証人が必要で,大学に進学するための試験に合格できなければビザの延長はなく,残された道は強制送還か日本での不法滞在です。そのようなギリギリのとき,氏を助け,身元保証人になってくれる人が現れます。その後,多額な入学金の支払いやアルバイト先での苦しい試練を乗り越え,氏は日本での生活を続けます。

これらの話は『パンツを脱いだあの日から-日本という国で生きる』〈ごま書房新社〉に詳しく書かれています。私はある記事からこの本を知り,バングラデシュという国と本の題名に興味を抱いて,一気に読破しました。この本を読むと,バングラデシュという国の厳しい現状,イスラム教という宗教,そして外国人が日本で生きる困難さなどをリアルに知ることができます。そして,つくづく日本という国の良さ,日本人として生まれたことの幸福を感じることができます。

なお,「パンツを脱いだあの日」とはどんな日のことでしょう。それは読んでみてのお楽しみです。それは決して不道徳な意味ではありません。念のため…。