第200回 『信長はなぜ葬られたのか』

先日、上記の本を読みました。皆様は信長が明智光秀によって殺された背景や経緯について、どのように捉えておられますか。

中学校の教科書などでは、単に「光秀が信長を裏切って殺した」くらいにしか書いてありません。しかし、この事件について深く考えてみれば、奇妙なことだらけではないでしょうか。光秀にしても、そのような大それたことを一時的な感情だけで行うわけはありません。また、もしこの事件が突然起こったことだとしたら、秀吉の中国大返しなどという大技は果たして可能だったでしょうか。そのように考えると、秀吉は予めそのような事件が起きることを把握していたと考える方が自然ではないでしょうか。

この本では、室町幕府の足利義昭・朝廷側の思惑、秀吉の駆け引きなどが詳しく書かれています。もちろん、それらは著者が色々な文献を読み込み、研究した結果であり、そこに書いてあることが真実であるかはわかりません。しかし、ここに書かれていることを読むと、この事件は光秀の発作的な行動ではなく、裏に潜む複雑な関係の中で起きたものだと感じられます。それに加え、この時代を考える上で欠かすことのできない存在が、イエズス会やキリシタン勢力です。これらの存在も、信長や秀吉と深く関わっていたことがわかります。

ところで皆様は、この時代に多くの日本人女性が奴隷としてヨーロッパに売られて行ったという事実をご存知ですか。日本人にとって、「奴隷」というと、アフリカとヨーロッパやアメリカの話だと感じ、日本には関係ないと思うことでしょう。しかし、信長や秀吉の頃の日本では、数多く、日本人女性が奴隷としてヨーロッパに売られて行ったのです。そして、その悲惨な有様は、ヨーロッパに渡った天正遣欧使節の少年たちも目にしているのです。

その事実は、「鉄砲が日本に入ってきた」ことに大いに関係しています。確かに、鉄砲は日本国内の堺などで作れるようになりました。しかし、鉄砲を使うためには不可欠な火薬や、その原料となる硝石、そして鉄砲の弾に使われる鉛などは輸入に頼るしかありませんでした。日本人女性は、それらと交換にヨーロッパへと売られて行ったのです。

このように、歴史を深く学んでいくとその奥深さを知ることができ、とても興味深く感じます。