第165回 これから始まる英語改革

今は教材展示会の真っ最中で、私も全国をとび回っています。展示会ではいろいろな情報が得られて、大変勉強になります。また、とても驚く事もあり、興味が尽きません。

先日の大阪展示会では、高校部と予備校を経営している塾の英語の先生が来て、私にこんな話をして下さいました。「鳥居さん、いつもよい教材をありがとう。うちの高一の生徒には、まず御社の『スーパー英語』を全てさせるのだが、それは驚くほど効果が出るよ。ある子はそれで英語の成績が急上昇して、医学部に通ってしまったよ。」という内容でした。

これは作り話ではありません。それを聞いて私は「そこまで『スーパー英語』の特色をつかんで、上手に使って下さっている先生がいたか」と感じ、心底嬉しくなりました。そのテキストは、私が二十数年前に、英語関係の本を数十冊は読んで、英語の本質を突きとめて書いたものです。憑き物に取り憑かれたように書き上げ、今振り返ってみると、「よくここまで集中して研究して書けたものだな。今、書こうとしても到底無理だ」と感じられるものです。

世の中では普通、be動詞のis,are,amを「~です」と訳しますが、それではbe動詞の本質がわかりません。また、現在完了形では、なぜhaveという動詞が使われるのか、そこまで言及した本は見当たりません。さらに、なぜ英文では、「時制の一致」のようなことが起きるのか、それを機械的に処理するのではなく、日本人と英米人の時間軸の違いから説明しているテキストも見当たりません。

そのようなところをきちんと理解して英語を学ぶのと、形式的なフレーズを丸暗記していく英語の学習法では、学年が進むにつれて大きな差がついていきます。それはちょうど数学において、定理や定義を完全にマスターしてから、問題を解いていく学習法と、解き方のパターンを丸暗記していく学習法との違いに似ています。

これからの英語教育は、大きく変わることでしょう。それは、英語の文法を学習するより、各場面ごとのフレーズを中心に学んでいく方が大切である、というような変化のようです。私自身としては、「その方法ではますます英語をわからなくさせ、混乱を招くだけだろう」と思っています。スポーツに例えれば、十分な基礎トレーニングもさせずに、生徒をいきなりテニスコートやゴルフ場に連れて行き、「さあ、プレーしてごらん」と言っているようなものだと思います。

このような変化に対し、世の人々は、いろいろな見解をお持ちだと存じます。どれが正解かはわかりませんが、私としては、これからの変化をじっくり見極め、「本質は何か、正道はどれか」ということをさらに追求していこうと思っています。