第153回 英語?それとも国語?

今、教育の世界では、読む、聞く、話す、書く、の英語四技能の話題でいっぱいです。また、それらにまつわる、いろいろなシステムやソフトがたくさん出回っています。果たして、そのブームにどんどん乗っていくことは正解なのでしょうか。

話は変わりますが、私は原稿を書いたり、メールの返事をするのに、アイフォンの音声入力を使っており、とても重宝しています。この機能を使うと、ただしゃべるだけでその内容が次々と文字に変わるので、とても便利です。更にその変換能力は、年々向上していると感じます。多分その原因は、数多くの音声データが蓄積され、AIなどが使われて、その正確さが増しているからでしょう。

これに関連して、自動翻訳機能も進化していると聞きます。つまり、日本語をしゃべると、その内容がそのまま他の言語に変換され、音声を通じて相手に伝わるというシステムです。これがどんどん変化し、普及していくと、どんなことが起きるでしょう。

「もしかして」というレベルの話ですが、何年かすると、何年間もかけて学んできた英語の力が不要になるかもしれません。それはちょうど、車の自動運転に似ていることでしょう。車の自動運転が普及すれば、時間とお金をかけて教習所で運転技術を学ぶことが不要となり、誰でも車を運転できる世の中が訪れることでしょう。英語の世界はそれと似てくるかもしれません。

それよりも私は、子ども達がこれからの世の中で必要とされるものは、「国語力」だと思います。最近の子ども達は、何でも「ヤバイ」という言葉で済ませてしまうような傾向があるようです。私は、子ども達の語彙の不足は、人間が動物に近くなってきている警鐘のように思い、とても危機感を感じます。英語を含む全ての学問の根底は、国語力にあるのではないでしょうか。

2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏は、IBMのWebメディア「無限大」に「日本にノーベル賞受賞者が多いのは、日本語で学んでいるからだ。」と答えているそうです。

また、作家の丸谷才一氏は、「日本語を伝達のための道具として使うことも大切だが、思考のための道具として使うことが、より大切である」と述べておられるそうです。

英語も大切ですが、母語でしっかり学び、深く核心を突く考えを身につけるためにも、もっと国語力を磨くことに力を入れてもいいのかもしれません。