第453回 常識を疑う

私の人生上のモットーは「向上心」と「好奇心」です。これを満たすには,いつも「常識を疑う」という心構えが大切だと思っています。例えば,英語におけるbe動詞の捉え方もその1つです。be動詞は,どのテキストを見ても「~です。」という日本語に当てはめられています。簡単な例でいえば, I am a boy. なら「私は少年です」ということになりますが,ならば A frog is in the pond. ではどうでしょうか。「カエルは池の中にいます」が適訳でしょう。こう考えていくと,be動詞は「です」よりも「いる,ある」「存在する」と理解する方が,よりbe動詞の本質を捉えやすくなります。夏目漱石の『吾輩は猫である』というタイトルにしても,「私は猫です」とするよりも,「吾輩は猫として存在している」という感覚で捉えた方が,よりその本質に近づけることでしょう。この捉え方を発展させると,現在進行形におけるbe動詞も理解しやすくなります。つまり, He is swimming in the river now. なら,「彼は/いる/泳いで/川で/今」と捉えると,よりすっきり理解できます。

このような意識を持って日常を過ごしていると,常識を超えるような場面によく遭遇します。最近私が驚いたことは,従来からのスキーの常識に真っ向から対抗しているある青年スキーヤーの考え方です。詳しいことは省略しますが,彼の主張を聞いていると,「言われてみれば確かにその通りだ。なぜ今まで従来からのスキーのコーチは,そのようなことに気付かなかったのだろう」と思うことがたくさんあります。そして,その通りに体を動かしてみると,今までよりうまく滑れるような気がして,次のスキーシーズンが待ち遠しくなります。

こんな気持ちを持ち続けていれば,少しは「老い」や「ボケ」に対抗できるかもしれません。