第435回 「私」の中にいる「主人公」
私どもの会社から歩いて5分ほどのところに,「相国寺(しょうこくじ)」という大きな禅寺があります。私が自宅から会社まで歩いて行くときは,その寺の境内を通り道としています。その際には時々大きな読経の声が聞こえたりして,とても引き締まった空気が流れていると感じます。その寺の田中芳洲(ほうしゅう)老師は,次のような詩を作られています。私はこの詩に大変感動しましたので,抜粋で一部皆様にご紹介します。
この身に地位・名誉・財産・学歴・男女などに汚れない「主人公」がいる。
あなたにも,誰の中にも,その人の「主人公」がまぎれもなく住んでいる。
彼は私が善いことをした時には,わたしに心の底から喜びを与えてくれる。
彼は私が悪いことをした時には,わたしの心に動揺と反省を与えてくれる。
誰も観ていないと思っていても,いつもどこでも私の心と行動を観ている。
(中略)
彼は自分を偽らず,悲しい時には素直に涙し,嬉しい時には心の底から喜び,怒るべき時には晴天の雷のごとく,雷鳴の後は雲一つなく和らいだ光を放つ。
そういう「主人公」に出会えた時,人は歓喜し「悟りを得た」と言うのである。
ここでの「私」とは,普段考えたり思ったりしている自分のことでしょう。また,「主人公(彼)」は,自分をどこかで見ている「神」や「お天道様」にも通じる存在のことだと思われます。そんな本当の自分が,日本人の誰の中にもいるのでしょう。「日本人は無宗教な民族である」などと言われる場合もありますが,私はこの話の中に,本来の日本人の原点があるように感じます。皆さんのお考えはいかがでしょうか。
なお,この文章は日本講演新聞に掲載された,船井本社グループ 代表取締役社長の佐野浩一氏の講演のダイジェスト文を参考にしています。