第387回 映画「アバター」の新作

先日,私は正月休みを利用して,映画「アバター」の新作を観てきました。結論から言って,映像と共にドルビーシステムを利用した音響も「素晴らしい」の一語でした。前回の「アバター」の公開から10年。その間にコツコツと制作が進められていたことでしょう。「いったいどうしたら,あのような凄い映像を創ることができるのか! 人間の力って素晴らしい」と感じました。一方,もう一つの頭の中では「人間の英知は人類にとって役に立ったり,人々を幸せにするために使われるべきであり,それとは反対の方向で使われてしまうのは,とても悲しいことである」とも感じました。

また,映画の内容とは別の話ですが,次のような体験も将来のことを考える上で役に立ちました。

一つは映画を観る際の座席の取り方です。映画館において理想的な座席の取り方は,両端の方ではなくできるだけ中央付近でしょう。しかし,中央の席にすると,映画の途中でトイレに行きたくなったときに,自分の席から通路までに座っている人にいちいち「すみません。すみません」と声をかけながら移動せねばなりません。ましてや今回の「アバター」の映画は上映時間が何と3時間もあったため,映画の途中でのトイレへの移動は避けられません。そこで今回はしかたなく端っこの座席を指定しました。将来はこのようなことに関連し,「外出の際は必ずトイレの場所を確認しながら移動する」ことになるでしょう。

もう一つの収穫は,認知症の疑似体験ができたということです。

話は飛びますが,私は数十年前の大学生時代にヨーロッパ放浪旅行を実行しました。その際,街歩きのときは,数十メートル歩いては今来た後ろを振り返り,その景色を頭に焼き付けて,また前に進むという方法をとっていました。このようにすると,帰り道が頭に入り,道に迷いにくくなるからです。それでも時には道に迷い,泊まっているユースホステルに戻れなくなるなど,冷や汗をかいた覚えがあります。

では話を戻して,映画の途中でトイレに行くときのことです。

映画館の中の通路はまるで迷路のようで,暗い洞窟の中を歩く感じです。私はその通路を慎重に「右に行って、突き当たったら左。そして必ず後ろを振り返る」などと昔の街歩きのテクニックを思い出しながら,トイレまで辿り着きました。さて用を済ませ,自分の席へ戻るときのことです。慎重に帰り道を辿ったつもりでしたが,なぜか違った場所に出てしまい,私は軽いパニックに陥りました。そこで心を落ち着かせ,もう一度トイレまで戻り,再び来た道を辿って,ようやく自分の席に戻ることができました。

この体験から私は,「認知症で迷子になってしまった人の頭や心の中はこんな感じなんだろう」と思いました。それはそれはとても不安で恐ろしいものです。健常者の側からは認知症の方の心情は理解しづらいものでしょうが,「その心情を理解して寄り添う」ことの大切さを感じました。私の母は94才で亡くなりましたが,頭脳の方は最期までクリアーでした。私もそのような頭を維持すべく,日々の生活に留意していこうと思います。