第386回 丁寧道

皆さんは風呂上がりにドライヤーで髪を乾かすとき,その動作をどんな気持ちでやっておられますか。私は合理主義者で,しかもせっかちなところが多々あるので「早く乾けばいいのに!」とか,「どうしたら早く乾かすことができるだろうか。タオルで髪を擦りながら,ドライヤーの風を当てるようにしたらどうだろうか」などという考えで頭がいっぱいになります。また,日々の食事についても,忙しいときにはガツガツと食べてしまい,ゆっくり味わって食べるゆとりが持てないこともあります。

また,周りの人の中で「いつも何かセカセカ・イライラしている」「何事にも乱雑である」という傾向がある人を見ると,「いけない,いけない。自分にもそういうところがあるから自重せねば…。」と思ったりします。以上のような傾向がある人の心理状況は,どのようなものでしょうか。

前述の例で言えば「髪の毛が乾いているという未来が早く欲しい」と思っているのに,「現実にはまだ乾いていない」というギャップに,苛立っているという感じでしょうか。また後者の例にしても「現実」よりも「先のこと」ばかりに意識が向いてしまい,そのギャップに対してイライラするということなのでしょう。

では,このような傾向から脱却し,日々もっとゆったりと優雅な気分で生活できるようにするには,どうしたらいいのでしょうか。毎日そのような雰囲気で過ごすことができれば,自分の気持ちも楽だし,より生活が豊かになることでしょう。

最近私はある本を読んで,そのヒントをつかんだ気分になりました。それが丁寧道です。その方法は簡単です。日常の動作に「丁寧」という観点を導入し,その動作を楽しむようにすればいいのです。このような発想は,かの千利休が大成した「茶道」などにも相通じるものがあるようです。

例えば,ドライヤーで髪を乾かすときのことをイメージしてみましょう。
・まず,ドライヤーのスイッチを入れ,そのときの感触を楽しむ。
・次に噴き出す風の風量を感じる。
・湿っていた髪の毛が乾いていく,その一刻一刻の変化を味わう。

いかがでしょうか。同じ動作をするにしても,このように一つ一つの動作の感覚を感じたり,その変化を味わうようにするだけで,何か気分や生活が変わってくるように思えませんか。

詳細は書道家の武田双雲氏が書いた『丁寧道』〈祥伝社〉に譲りますが,私はこの本を読んで自分の余裕のなさを感じるとともに,日々の生活の中にあるちょっとした楽しみを見つける方法を学ぶことができました。

今私は,この原稿を三菱のUNIのBという鉛筆で書いています。今までの私にとっては,鉛筆はただの筆記用具にしか思えませんでした。しかし今では,この鉛筆のなめらかな滑り具合を楽しめるようになり,「書く楽しみ」がより増してきたように感じます。