第384回 人は鏡

私は自分の心を磨くために倫理法人会という会に入り,毎週1回開かれる早朝の会合に出席して勉強を続けています。その勉強内容のうちの一つに「人は鏡」というテーマがあります。私は初めてこの言葉に出会い,その意味するところを知った時に大きな衝撃を受けました。その言葉には,次のような内容が含まれています。

例えば,朝起きて,家族と顔を合わせたとします。その時の相手が不機嫌そうな顔をしていたら,皆さんはどう感じるでしょうか。それまでの私は「なんて不機嫌な顔をしているのか,もっと明るく朗らかな態度をとればいいのに」と感じていました。「人は鏡」という言葉は,いかにそのような感じ方が間違いであるのかを教えてくれます。

かつての私は(今でも時々出てしまいますが)「自分は正しい。自分がおかしいと感じることは,すべて相手が間違っているからだ」と信じて疑いませんでした。一方,「人は鏡」という言葉からすれば,「相手が不機嫌な顔をしているのは,自分が不機嫌な顔をしているからだ」ということになります。つまり,「自分が明るく朗らかな顔をして相手に挨拶すれば,相手も自然に顔がほころび,明るく挨拶を交わすことになる」というわけです。

このような,倫理の教えをまとめたテキストである『万人幸福の栞』には,次のような内容を示す一文があります。「鏡に映った自分の顔の黒いシミを消すのに,鏡に映ったそのシミの部分をいくら消そうとしても消すことはできない。それを消すためには自分の顔についているその部分を消さなければ,いつまでたっても消すことはできない」と。私は初めてこの文章に触れた時,「これは正に自分自身のことを言われている」とショックを受けました。つまり,この文章の意味するところは「鏡に映った自分とは相手のことであり,相手をいくら変えよう,変えようとしても決して問題の解決にはならない」ということです。

この時私は,有名な寓話である『北風と太陽』を思い出し,「今までの自分は『太陽』ではなく,『北風』であった」と思い知りました。この寓話では北風は旅人のマントを脱がせようと,風の強さを増強します。旅人はそれに対してマントを飛ばされまいと,ますます身を縮めます。これでは,いくら北風がその風の強さを増したところで決して旅人のマントを吹き飛ばすことはできません。

他方,太陽は,ポカポカとした日差しを送り続けることで,旅人のマントをいとも簡単に脱がしてしまいます。今現在の私がどれだけ北風から太陽に移行できているかは疑問ですが,少なくとも絶えずこのようなことを意識し続け,少しでも太陽に近づけたいと思います。