第37回 「早起きは三文の得」の意味

私はよく「みやざき中央新聞」というユニークな新聞を読みます。この新聞の中で水谷謹人(もりひと)氏の書いた興味深い文章を見つけました。その文章の内容は次のようなものでした。

このことわざは「早起きすると三文も得するから、早く起きる習慣をつけた方がいい」というような意味で使われていると思います。ではいったい「三文」とは現在のお金にしてみると、いくらくらいになるのでしょうか。

ところで、「三文」ということばを使った熟語はいろいろあります。1つ目は「三文芝居」。これは、「つまらない芝居」のことをいいます。2つ目は「二束三文」。これは「2つを束にして売っても三文にしかならない商品」のことをいいます。3つ目は「三文判」。これは「安物の判子」のことをいいます。

このことからわかるように、「三文」は大して価値のないものの代名詞のようです。実際に江戸時代の「三文」を今のお金に換算すると、90円くらいだそうです。では、早起きはなぜ「三文の得」なのでしょうか。むしろ、「早起きしても90円くらいの価値しかないよ」ということなのでしょうか。

これについて書かれた水谷氏の文章に、私はとても感動しました。水谷氏は、このことわざの「三文の得」は「得する」「損する」の「得」ではなく、人としての生き方を示す「美徳」の「徳」のことではないかと言うのです。

つまり、「三文ほどのちっぽけな徳」でも毎朝それを続けていくと、それが習慣となり、やがてその習慣が徳のある人格をつくっていくのではないか、と主張します。確かに、早起きを続けるのは、意志の力も必要で、大変なことです。でも、その習慣を獲得すれば頭も冴え、仕事の能率も上がります。

私はこの水谷氏の文章から、日々ますます早起きの習慣を確立しようと心に誓いました。