第265回 『あふれでたのはやさしさだった』

私は、教材展示会に参加しながら、奈良少年刑務所で「絵本と詩の教室」を開いた寮 美千子氏が書いた『あふれでたのはやさしさだった』という本を読みました。この本を知ったのは、ある人から紹介してもらった「日本講演新聞(旧:宮崎中央新聞)」に載っていたためです。

皆さんは、いわゆる凶悪犯罪を犯した少年が入る「少年刑務所」にいる子ども達について、どのような印象をもたれますか。一般的には「がさつで凶暴」「恐い」「何を考えているのかわからない恐ろしい人間」などの印象を持たれることでしょう。著者は、とあるきっかけから、その刑務所を訪れました。そしてその後、少年達のために「絵本と詩の教室」の講師を引き受けます。著者は、怖々とその少年達と接しているうちに、その少年達は次のような環境で育ってきたことを知ります。

・想像を絶する貧困の中で育ってきた。

・親から激しい虐待を受けてきた。

・学校でいじめられてきた。

など…。そして、それぞれが自分を守ろうとして、次のような自分なりの鎧を身につけていることも発見します。

・いつも無意味に笑っている。

・わざとふんぞり返る。

・殻に閉じこもる。

・くだらない冗談を連発する。

など…。

そんな彼らは、自分自身の感情もわからないほどに、心の扉を固く閉ざしています。著者は、奈良少年刑務所で足かけ10年にわたり、その教室を開き、彼らの心の扉を開けるきっかけを作ってきました。そんな彼らがその鎧を脱ぎ捨て、心の扉を開けたとたん、あふれでてきたのは、やさしさでした。重い罪を犯した人間でも、心の底に眠っていたのはやさしさでした。

本当は、誰もが愛されたいし、愛したい。人間って、本当はいい生き物なんだ、と著者は気付きます。詳しくは本書に譲りますが、私は、最近読んだ本の中でも、とびきりこの本に感動しました。そして、是非、子どもの教育に関わる全ての人(父母、学校の教師、塾の講師の方々など)に、読んでほしいものだと感じました。

この本を読んで、私自身が塾をしていた頃の生徒への接し方を思い出すと、「何て無知で未熟なことをしてきてしまったのだろう」と反省しきりでした。例えば、この教室で心を開き、次のような詩を書いた子どもがいます。

「ひとつのこと」

ひとつのことでも

なかなか思うようにいかないから

ぼくは

ひとつのことを

一生けんめいやっています。

どのような子がこの詩を書いたか、想像がつきますか。強盗殺人やレイプをしたような少年が書いたと信じられますか。これは、発達障がいがあり、大きな罪を犯してしまった子の詩です。発達障がいは、心の働きに関する障がいのため、目に見えにくく、理解もされにくいものです。そのため、親もいらだってしつけようとします。それが一線を越えると「虐待」になったりします。本人はさぼっているわけでも、わざと反抗しているわけでもなく、本人なりに頑張っているのが、そのありのままの姿です。しかし、絶えず「みんなにできることが、あなたにはどうしてできないの」と言われ続けると、自己肯定感がどんどん低くなり、それが、引きこもり、自傷、家庭内暴力、非行などにつながっていきます。

このようなことは、大なり小なり、どの子どもにも当てはまるのではないでしょうか。例えば、中学入試を目指している裕福な家庭の子どもの中にもあるかもしれません。今回の文章は、特に長くなってしまい恐縮ですが、私はこの本から、ここではとうてい言い尽くせないほど多くのことを、考えさせられました。