第11回 命のビザ②

自分や家族の命と引きかえに、ビザの発給を決断した氏の心境はいかばかりだったでしょう。
氏は、領事館の閉鎖が迫る中、一日平均300人のビザを書き続けました。そのビザの実物がこれです。(写真はこちら:http://www.tsumugi.ne.jp/photo/yomoyama/20140917viza.html )
単にポンとハンコを押したものではありません。ご覧のように、日本語でビッシリ書き込まれたものです。

これを寝食を忘れて書き続けたのですから、大変です。すぐに万年筆のペン先は折れ、指に豆をつくり、腕の痛みをこらえながら書き続けたそうです。更に領事館の閉鎖後も、市内のホテルやベルリンに向かう列車の中でも、書き続けました。

杉原ビザを持ったユダヤ人は、ロシアのウラジオストクを経て、敦賀に上陸しました。そして日本を経由して、アメリカなどに渡って行きました。氏の救ったユダヤ人の数はおよそ6千人にも上るとのことです。

氏は戦後、民間の貿易商社に勤めていたそうですが、命を救われたユダヤ人たちが、八方手を尽くして、氏を探し出し、感謝の意を述べたそうです。私はこの話を知り、とても感動しました。