第494回 幕末の漂流民

1832年(天保3年)10月10日,尾張熱田港を出帆した宝順丸は,江戸に向かう途中に嵐に合い,1年2か月の間太平洋を東へ東へと漂流しました。辿り着いたのが何とアメリカ西海岸のフラッタリー岬。すでに洋上で11名が壊血病で死亡し,生き残ったのはわずか3名。しかもその3名はアメリカインディアンに捕らえられ,奴隷にされてしまいました。
やがて3名は白人によって救出され,ハワイにも立ち寄り,イギリスのロンドンに連れて行かれ,日本へ帰るチャンスをうかがいます。いよいよ3名はロンドンからマカオに向けて旅立ち,マカオに滞在します。そしてイギリス人やアメリカ人の協力を得て,モリソン号という船で日本の浦賀沖へ停泊します。

ここまでの話を読んで私は,これでいよいよ3名は日本上陸を果たし,親兄弟や妻子とも再会できるのだなと安堵しました。何とこの度の航海は1837年ですから,漂流して5年も経っているのです。
このとき私は1841年に土佐沖で漂流したジョン万次郎のことを思い起こしました。この3名はジョン万次郎と同じような境遇に置かれ、アメリカ,ハワイ,ロンドン,マカオと回って日本に帰ってきたのです。また、英語も流暢にしゃべれるようになっています。幕府は喜んで彼らを迎え入れ,諸外国の情報を仕入れ,通訳として活躍させるものと思っていました。

しかし事実は正反対でした。この頃の日本では1825年に異国船打払令が敷かれていたのです。そのためモリソン号は浦賀沖で砲撃を受け,次に訪れた薩摩でも激しい爆撃にあいました。そのためモリソン号はやむなくマカオに引き返しました。このときの漂流民の心情は,いかばかりだったことでしょう。5年にもわたる厳しい試練に耐え,やっと日本に帰れたのに爆撃され,帰る道を閉ざされるとは…。

以上の話は,三浦綾子さんによって書かれた『海嶺』という本に収録されています。上・中・下巻合わせて1千ページを超える大作ですが,大いに読みごたえのある本です。