第304回 人生を演じる
私は先日「日本講演新聞」で編集長の水谷もりひと氏の文章を読みました。
その内容は「人生を演じる」ということに関してでした。
私たちは日常、いろいろな役を演じています。
例えば、親の前では老親の健康を気遣う「息子」、子どもの前では子煩悩な「パパ」、部下の前では仕事に厳しい「上司」、妻の前では尻に敷かれる「夫」などです。
このように、人は場面場面では皆「役」を演じているわけですが、「演じている」という自覚はありません。
一方、演劇人は「演じる」ということをポジティブにとらえ、「演じることはその『役』を生き、その『役』を楽しむことだ」と感じているようです。
私たちが日常でいろいろな役を「演じている」ととらえると、2つの大きなことに気付きます。
一つは、「自分にとって理想の役にふさわしい言動をとっていると、だんだんそれなりの人格が身についていくのではないか」ということです。
最初のうちはぎこちなくウソっぽくてもひたすら自分の理想像を目指して演じていると、そのうちにだんだんそれが板についてくるのではないでしょうか。
逆に、乱れた身なりをし、下品な言葉遣いをしていると、どんどん人格が下がってしまうことでしょう。
また、それぞれの人はそれぞれの役を「演じている」ということが理解できると、身近にいつも理不尽なことをいう人がいたとして、その人に対する対応のしかたも変わってくることでしょう。
つまり、その人に対して「あの人はそういう『役』を演じているのだから、それを自分がまともに受け止めても苦しいだけだ。
自分はそれに振り回されず、自分なりの役を演じていればいいのだ」などと考えられるようになることでしょう。
そう考えれば、些細なことにいちいち一喜一憂することもなくなることでしょう。
水谷氏の文章を読んで、「では私にとって、私の役とは何だろう」とも考えました。
私は今、塾の先生や子どもたちに「こんなテキストを作ってくれてありがとう。今までの苦手が解消されてとても役立った。」と喜んでもらえるような、あるテキストを企画しています。
そして、その企画を実現するような役を貫くことが、自分にふさわしい生き方のような気がします。
水谷氏の文章を読んで、人間にとって、本当に大切な役とは、「自分にしかできない、他人に喜ばれる道を貫くことではないか」と感じました。