第295回 雪かき

私は先日『日本講演新聞』で、編集長の水谷謹人(もりひと)氏の「雪かき」についてのエッセーを読みました。この文章は、東京書籍 中学3年の道徳の教科書にも掲載されたそうで、とても感動しました。

私が生まれ育った群馬県では、あまり雪は降らず、雪かきの思い出は少ないながらも、この文章を読んで「なるほど」と思いました。村上春樹著『ダンス・ダンス・ダンス』の中に「誰かがやらなければならないこと、それが『雪かき』だ」というような内容が載っているそうです。そして、その話を受けて、哲学者 内田樹(たつる)氏は、「労働の本質は雪かきにある」と述べているそうです。それはどういうことでしょうか。

雪かきをする人は、雪かきをしているところを多くの人から目撃されることはありません。人々が仕事に行くときには、既に雪かきは終わっているからです。そして、その奇麗に雪かきされた道を、みんな当たり前のように歩いて出勤します。誰かが雪かきをしなかったら、凍り付いた雪に足を滑らせて転ぶ人がいるかもしれません。

つまり、雪かきは誰かを喜ばすためにするのではなく、その道を通る人たちが、いつものように普通に歩けるようにと、やっているのです。誰も見ていないし、誰からも賞賛されることはなくても、その作業を誰かがやらねばならない。そういう人がいることで、実は社会はうまく回っているのだ、とのことです。

今の世の中は、「そう行動することは、得をするか、損をするか」を基準にして回っていることが多いようで、自分を振り返ってみても雪かきをしているようなことは思い浮かばず、恥ずかしい限りです。

さて、雪かきに関連して思い浮かぶのが、「道路の掃除」です。国によっては、道路の横はゴミだらけという所もありますが、日本の道はとても奇麗です。それは、日本には、まだ雪かきの精神が残っているからかもしれません。そういえば、最近私は編集の忙しさにかまけて、会社の前の道や、玄関の掃除を手抜きしていました。明日からは時間を作って、日々の掃除の実行を再開することにします(苦笑)。