金印の謎

皆さんは,学生時代に日本史で習った「金印」についてご存知のことでしょう。
歴史の教科書などには,「金印は1784年,博多湾の志賀野島で,農民の甚兵衛が発見した」と記載されています。この金印は中国の「後漢書」東夷伝に「後漢の光武帝が倭の奴国王に与えた」と記載されています。その金印には「漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれているため,その記載されたものに間違いはないとされています。私はこの史実を学んだ時から「なぜ二千年も前にもたらされた金印が,福岡県のはずれにある小さな島で農民によって発見されたのだろうか。奇跡としか言いようがない」と思っていました。

そして,ついにそれを確かめるチャンスが巡ってきました。丁度福岡に出向く用事が出来たのです。早速志賀野島にあるビジターセンターを訪ねて,職員の方から詳しくお話を伺いました。

私は真っ先に「お百姓さんが自分の畑を耕している時,鍬の先がカチンと固い物に当たった。そしてそれは何だろうとよくよく見たら,それは金印だったなんてことがあるのでしょうか」と率直に尋ねました。すると,職員さんは笑いながら「そうではないのですよ。甚兵衛さんとは別の二名の農民が,田んぼの水路を修理していました。そのとき,何かものものしい石窟のようなものに行き当たったのです。その上には100kgを超えるような大きな石が乗っていました。そしてそれをやっとこさどけると,小さな祠のようなものがあったのです。金印はそこに鎮座していたのです」と説明されました。誰かがそこに金印を隠したのか,かつてその場所に神社のようなものがあり,祀られていたのかなどは謎に包まれているようです。
今,本物の金印は福岡市博物館に所蔵されていますが,その保管に至るまでの経緯も大変だったようです。何せ金印は1辺が約2.3cmで,重さが109gという小さなものです。その歴史的価値を知らない人の手に渡れば,溶かされて売りに出されていたかもしれません。その金印の歴史を知れば知るほどまた新たな謎が生まれ,興味は尽きることがありません。